苦悩チャンネル

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コトバの渦巻く日々

最近、ぼくの周りではコトバがとても重要な意味を持つようになってきた。

例えば、昨日の出来事だ。友達が新しいアプリを開発したという話を聞いて、ぼくは「やばくね?」と言ってしまった。すると、友達は「何でやばいの?ちゃんと見てから言ってよ」と言って、顔をしかめた。

ぼくは本当にやばいと思ったわけではなかった。ただ、感嘆符がついていたから、なんとなく使ってしまっただけだった。でも、友達にはそのコトバが失礼に聞こえたらしい。

そんなことがあってから、ぼくはコトバの力について考えるようになった。言葉ひとつで人を傷つけることもあるし、逆に励ますこともできる。それに、コトバは単なるコミュニケーションツールであり、文学や詩などの芸術作品にも使われる。

ぼくは文章を書くのが好きで、そうした作品を読むのも好きだ。でも、最近は特に、コトバの扱いに神経を使うようになった。「これって、この文章に合ってるかな?」とか、「この言葉を使ったら、どんな印象を与えるだろう?」とか、いろいろと考えてしまう。

例えば、このブログのタイトルも、そうした思考の結果出来上がったものだ。最初は「言葉の力」とか「日常の中のコトバ」というタイトルを考えていたけど、どこか平凡な感じがした。でも、そのスピリッツは逃がしたくなかったので、最終的には「コトバの渦巻く日々」に決めた。

このタイトルを考える過程で、ぼくはコトバがただ単に存在しているのではなく、渦を巻いているように感じた。言い換えると、コトバには複数の意味が同時に暗示されているということだ。

例えば、一つのコトバに対して、その言葉自体の意味以外に、話者の感情や社会的背景、対象のイメージなどが含まれる。これらが重なり合うことで、一つの「意味」が作り出される。

また、コトバには時間的な要素もある。時には、同じ言葉でも時間が経過することで、その意味が変化することがある。例えば、「反省」のようなコトバは、ある程度の時間が経過しないと使っても違和感がある。

ぼくらの身の回りには、このようなコトバがたくさん存在している。ひとつのコトバから、多様な意味が広がり、時間が経過することでその意味が変わっていく。そんな渦巻くようなコトバに、ぼくらは今日も囲まれているのだろう。